
来季J2から再出発を図るアルビレックス新潟の新社長に、元GKの野澤洋輔氏(46)が就任することが発表された。選手上がりの明るい営業マン―。最近サポーターになった若い世代はそんなイメージを持つかもしれない。確かにそんな側面を多く見せていたが、野澤洋輔(以下、敬称略)は選手時代から一貫して、笑顔で新潟を支え続け、サポーターや仲間たちに愛された存在だった。「ゴール守る 俺たちのヒーロー」。チャントの歌詞でも称えられた「ヒーロー」の軌跡を振り返りたい。
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2000年 加入
野澤が新潟に来たのは2000年のことだ。J2に参入して2年目を迎えたばかり。加入を伝える新潟日報に顔写真があるのは、同時にJ1清水から移籍してきたFW服部浩紀だけだった。まだ20歳のGK。静岡市出身でユースから上がった野澤。清水では正GKに真田雅則がおり、出場試合数はゼロだった。
2002年のワールドカップ開催を控え、至上命令のJ1昇格に向けて年末に10人を解雇したばかり。永井良和監督の下、経験豊富な攻撃陣を中心に9人が加入した。服部のほか、寺川能人(現強化本部長)、本間勲(現コーチ)も入団同期。地元出身の元日本代表DF神田勝夫も加入し、この年の補強は間違いなく新潟の未来につながるものだった。
その中で野澤は決して目立つ存在ではなく、実際のリーグ戦でもGK吉原慎也、木寺浩一の控え、立ち位置としては第3GKで、新潟1年目の公式戦出場はゼロだった。ただ、転機は訪れる。
2001年 運命
翌年のJ2開幕戦。ゴールマウスに立っていたのは野澤だった。抜擢したのはこの年に就任した反町康治監督だ。
「鉄壁の守護神」。前年まで出場機会のなかった第3GKが、わずか10試合にして、そんな呼び名が付くほどの活躍を見せた。1試合1失点以下の防御率。守備だけでなく、ハーフウェーラインまで届くロングスローで攻撃の起点にもなった。
「野沢(当時の表記)の好守」「好セーブ」と、当時の記事には試合のたびに活躍が載った。一気にチームの主力へと成長した野澤だったが、第41節の京都戦、J1昇格が絶望的となる相手の得点を許したのも21歳のGKだった。
試合後、泣きながら4万2011人の大観衆に深々と頭を下げて引き上げる野沢。「おれの責任です。サポーターの後押しがあったのに、本当に申し訳ない」と、涙で真っ赤にはれた目でファンに謝った。
反町監督は「最終的には致命的なミスをした。これがこのゲームの結論」としながらも「でも、おれが信用して使ってきたのだから」と話した。
第3GKだった昨年は、出場機会がなかった。開幕からレギュラー入りした今年はリーグ戦の全試合に出場。若さあふれるプレーで堅守の新潟を支えてきた。しかし、最後の大一番で大きなわなが待っていた。2点目のゴールを入れたFW氏原も「野沢君にはこれまで何度も助けてもらった。(ミスの)カバーができなかった」と野沢をかばったが、「一生心に残る」と、21歳の守護神は肩を落としたままだった。
2003年 誇り高きイレブン
2002年もJ2の3位で昇格を逃した新潟。ただ、野澤は守護神として定着し、ファンらからチームMVPにも選ばれた。一方、反町監督は辞意を匂わせたが、サポーターの署名活動もあって2003年シーズンへ続投を決めた。
悲願のJ1昇格に向け激しい昇格争いを繰り広げる中、...











