帰国後のDNA鑑定で親子でないと判明、悲嘆に暮れたことを思い出して涙ぐむ中国残留邦人1世の池田澄江=東京都台東区
 帰国後のDNA鑑定で親子でないと判明、悲嘆に暮れたことを思い出して涙ぐむ中国残留邦人1世の池田澄江=東京都台東区
 旧満州に侵攻する旧ソ連軍(上)、涙を流す中国残留邦人たち=東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター(右下)、中国残留孤児訴訟の原告団代表と握手をする当時の安倍首相(左下)のコラージュ(写真はタスなど)
 養父母と12歳のころの池田澄江(中央)。この頃は徐明と名付けられていた(本人提供)
 2世への支援拡充を訴える中国残留邦人ら=2019年10月、福岡市
 中国帰国者2世の苦しい現状を訴える小島北天=福岡市

 日本の敗戦と混乱の中、中国に残された女性や子どもたちは「棄民」として多大な労苦を味わってきた。帰国後も厳しい境遇にいる人は、その家族も含め少なくない。国の責任を問う声もなかなか届かず、歳月の流れとともに問題は忘れられようとしている。(敬称略、文は共同通信編集委員・内田恭司、写真は同・堀誠)

▽取り残されて

 「本当に?あなたは私たちの妹に間違いありません」。中国から帰国した池田澄江(81)が親族にたどり着いたのは、奇跡のような偶然だった。

 池田は、旧満州に開拓移民として渡った両親の下で1944年に生まれた。だが、ソ連軍侵攻と日本の敗戦で混乱を極める中、「このままではこの子は死ぬ」と考えた母に、交...

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