1959年のことだった。「月さんも少し描いてみないかい?」。現在86歳のアニメーター月岡貞夫=新潟市北区出身=は、漫画家手塚治虫のラブコールに応えて上京。その約1年後、東映動画(現・東映アニメーション)のアニメーション映画「西遊記」(60年)の制作に携わっていた手塚に誘われ、初めてアニメに関わることとなった。
月岡の仕事はキャラクターデザインの補助。高校で建築を学んでいたこともあり、アニメ向きの立体的なイラストを描くのは得意だった。月岡が考えたキャラは会議でも評判となり、そのうち、漫画連載で多忙な手塚が「うちには天才がいるから」と、自身の代役として月岡を派遣した。
宮崎駿や細田守ら著名なアニメーターを多数輩出してきた東映動画は、国内初の長編カラーアニメ「白蛇伝」を58年に公開。高校時代に劇場で見た月岡にとっても、憧れの会社だった。ただ、大卒の社員が大半で、手塚の代理の若者に向けられる視線は厳しかった。
だが、幼い頃からフィルムを見ながら絵を描いてきた月岡は、...
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