アニメーションキャンプの交流会で談笑する内田さん(左から2人目)=2月23日、新潟市中央区のゆいぽーと
アニメーションキャンプの交流会で談笑する内田さん(左から2人目)=2月23日、新潟市中央区のゆいぽーと

 映画祭がもつ最大の“個性”が、アニメーション業界を目指す若者たちが世界中から集う独自の育成プログラム「アニメーションキャンプ」だ。同じ志を抱く、性別や言語を超えた仲間と過ごす刺激的な6日間。そこで彼らはなにを考え、どんな気づきを得られたのか。英語をまったく話せない状態のまま“未知の世界”に飛び込んだ2人の男子学生に聞いた。(アニメライター・鈴木長月)=本文敬称略=

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 「開会式の前日。到着した初日は日本人の男子が私1人だけで。英語をしゃべれないのも私だけだったので、本当に大変なところに来ちゃったな、と思いましたね」

 栃木県から参加した鈴木佑浬(20)は、その顔ぶれを見て面食らった。普段の彼は地元の高専を経て宇都宮大工学部に編入した理系学生。具体的な創作の経験もほとんどない。「アニメは好きだけど、これまでは縁遠い道を歩いてきた。そこへの引け目や恐怖感を払拭したかった」。それが一番の動機でもあった。確か、応募時に見た前年度の写真では、日本人も男子学生ももっといた。「あれ、おかしいな」。一気に不安は増幅した。

 一方、一日遅れで参加した同じく「英語を話せない」内田空(20)は、静岡県出身で、現在は“地元”新潟の開志専門職大学アニメ・マンガ学部に通う2年生。アニメーションコースで学ぶだけあって、ある程度の知識はあるし、大学には中国などから来ている留学生も少なくない。ただそれでも、やはり「やっていけるかな」とは思ったという。

「大学にいる留学生の子たちは、それなりに日本語ができる状態で日本に来ている。なので、人と会話をするのにこっちが頑張る必要性が、普段は全然ないんです」

 集まった計29人の参加者は、韓国、中国、モンゴル、フィリピン、インドネシア、シンガポール、タイ、ラオスと、国籍もバラバラ。男女比は女性のほうが多く、日本からのメンバーも2人を除いては、英語力も日常会話に支障はない。日本に居ながらにして、日本語話者のほうがむしろマイノリティーになる“非日常”感。だが、それこそが、まずなによりも国際感覚を養ってほしいと願う、キャンプの大きな目的の一つでもあった。

 「それまでは相手が外国人というだけで、どこか気が引けてしまうところもあったけど、話しかけてみたら、全然みんな優しくて。アニメーションっていう“共通言語”があるだけで、人ってこんなにもつながれるんだって、グンとハードルは下がりましたね」(空)

「日本語だとそれなりの語彙(ごい)があるだけ、言葉も選びがちになってしまうけど、英語ではそれがない。言葉がうまく話せないからこそ、よりストレートに気持ちが伝えられる。そういう経験ができたのは、自分にとってもすごくよかったなと感じます」(佑浬)

アニメーションキャンプの交流会で話し合いをする鈴木さん(中央)=2月23日、新潟市中央区のゆいぽーと

 期間中には、一般公開もされた多彩なゲストたちによるマスタークラスのほかにも、参加者だけの講義や親睦会なども実施され、自然と“壁”は感じなくなった。

 時間の許す限り、上映会場である市民プラザやシネ・ウインドにも足を運んで、普段目にする機会さえほとんどない海外や同世代の作り手たちの作品に数多く触れたことで、「創作のアイデアが広がって、引き出しが増えた気がする」(空)と、大いに感化もされたという。

「来年から再来年までには、僕も本気で20分の短編を完成させて、Indie Box部門に応募します。動くのはこれからですけど、これはぜひ書いておいてください」(空)

 「私も大学こそちゃんと卒業するつもりでいますけど、ここへ来て、たくさんの方と接したことで、“自分もやっていいんだ”と安心できた。本当に来てよかったです」(佑浬)

 北野武=ヴェネチア、宮﨑駿=ベルリンのように、著名な監督には関わりの深い映画祭がそれぞれにあるもの。映画祭の創設者である亡き堀越健三氏は、それを新潟名物の一つでもある鮭になぞらえて、「新潟から巣立ったクリエーターが“また帰ってきたい”と思える、そんな映画祭にしていきたいんだ」と、ぼくにも熱っぽく語っていた。

 渡航費や宿泊費という負担を気にせず、アニメーションに心おきなくどっぷりつかれる得がたい機会を若者たちに提供する。そんな映画祭は、世界中のどこを探してもおそらく新潟ぐらい。予算規模からしても、かなりのむちゃをしているとはた目にも思う。

 だが、その真ん中にいつも「人」がいるのが新潟のよさ。キャンプで学んだ彼らのような若者たちが、その言葉どおりに作品を携えて「帰って」きてくれる未来こそが、堀越氏が最期まで思い描き続けた夢であり、映画祭が目指すべき一つの到達点でもあるだろう。

 映画祭が続く限り、唯一無二のアニメーションキャンプを目指して、毎年、数多くの若者が新潟の街にやってくる。「僕は、私は、新潟に育ててもらった」。地元・燕市で特注されたあのトロフィーを手にした彼や彼女らが、そんなスピーチをしてくれる日がいつの日か来たら、しがないライターでしかないぼくでさえ、感極まってたぶん泣く──。

<アニメーションキャンプ>アニメーションのクリエーターを志す若者を国内外から招き、新潟国際アニメーション映画祭の期間中、プログラム鑑賞や監督らゲストによる講義などを無料で受けることができる育成プログラム。旅費、滞在費も映画祭側が負担する。今回は従来のプログラムに19人、新たに創設されたワークショップ(WS)コースに10人が受講。WSコースは映画祭終了後も新潟市に滞在し3月2日まで短編を制作、最終発表会を行う。今回の受講生29人の国籍(総数とカッコ内はWSコース)は日本11(2)、シンガポール6(2)、韓国3(2)、フィリピン3(2)、タイ2(1)、モンゴル1(1)、中国1、インドネシア1、ラオス1
<著者プロフィル>
◎鈴木長月(すずき・ちょうげつ)1979年生まれ。大阪府出身。東京都在住。出版社勤務を経て、フリーランスとして独立。プロ野球からサブカルチャーまで守備範囲は広く、アニメ専門誌「アニメージュ」(徳間書店)などにも寄稿する。妻が胎内市(旧中条町)出身で、新潟は自称「第2の故郷」。