被爆した袋町国民学校(現・広島市立袋町小)の校舎の一部を保存した平和資料館を訪れた友田典弘さん(右)=2025年11月
被爆した袋町国民学校(現・広島市立袋町小)の校舎の一部を保存した平和資料館を訪れた友田典弘さん(右)=2025年11月
爆心地から約500メートル以内で被爆した「近距離被爆者」のうち、最後の1人となった友田典弘さん=2025年10月、大阪府門真市
弟幸生さん(右)、母タツヨさん(奥)と写真に納まる友田典弘さん
しわが刻み込まれた友田典弘さんの手。爆心地から約500メートル以内で被爆した「近距離被爆者」のうち、最後の1人となった=2025年10月、大阪府門真市
韓国で暮らしていた頃の友田典弘さん。朝鮮戦争休戦後に撮影された
爆心地から約500メートル以内で被爆した「近距離被爆者」のうち、最後の1人となった友田典弘さん=2025年10月、大阪府門真市
友田典弘さん(手前)の被爆証言に耳を傾ける広島市立袋町小学校の児童ら=2025年11月
自身が通っていた広島市立袋町小学校(当時は袋町国民学校)で、涙しながら被爆証言を行う友田典弘さん=2025年11月

 弟を思い出す―。80年前に被爆したあの場所に戻ると、涙が止まらなかった。広島への原爆投下の爆心地からわずか460メートルの小学校の校庭は、黒焦げの遺体で埋め尽くされていた。母の字で「トモダ」と書かれた運動靴。その遺体は弟だった。

 9歳の少年だった友田典弘さん(90)=大阪府門真市=は原爆で家族を失い、焼け野原に一人、取り残された。知人について渡った朝鮮半島でも戦争に巻き込まれ、二つの惨禍を奇跡的に生き延びた。死亡率が高い「近距離」で被爆し、生き延びた中の最後の存命者に。人生は常に死と隣り合わせだった。(共同通信=吉田梨乃)

 ▽「ごめんな、ごめんな」

 爆心地から500メートル以内の「近距離」で被爆し...

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