長岡が空襲を受けたことを伝える1945年8月3日の新潟日報の紙面
長岡が空襲を受けたことを伝える1945年8月3日の新潟日報の紙面

 1945年8月1日の長岡空襲から78年となった。午後10時半に始まった空襲は翌2日の午前0時10分まで続き、降り注ぐ焼夷(しょうい)弾で、市街地は火に包まれた。市民は燃え上がる自宅を後にし、火のない方へ必死に逃げた。だが、街は焦土と化し、7月の模擬原爆による死者4人と合わせて1488人の尊い命が失われた。

 長岡空襲について、新潟日報はどう報じたのか。1945年8月の紙面では、被害の状況を伝える一方、復興に焦点を当てた内容が目立った。戦意高揚を後押しするような記事、見出しも掲載している。

 新潟日報が初めて長岡空襲について報じたのは空襲翌々日の8月3日。1面で...

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