
国は「第2の水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと並ぶ四大公害病の一つ。」と呼ばれる新潟水俣病1965年、阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の発生を防げなかったのか-。新潟水俣病を巡るこれまでの訴訟で、国の責任が認められた例はないが、第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。の弁論で原告側は「国は新潟での発生を予見できた」とする新たな証拠を基に、国を追及してきた。新潟地裁が、原告を水俣病と認めるかどうかと共に、国の責任をどう判断するかは、全被害者救済の行方に大きく関わる。
新潟水俣病は、九州の水俣病の確認から9年後の1965年に公式確認された。...
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