再び開くかと期待された扉が、重く閉ざされた。救済の道筋が見えない判決に、原告側の落胆は計り知れない。被害者に広く救済の道が開かれなくてはならない。

 2009年に施行された水俣病特別措置法に基づく救済策の対象外となった144人が、水俣病の典型的症状を訴え、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は22日、請求を棄却した。

 判決は25人の罹患(りかん)を認めたものの、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間は経過したと判断した。原告の約8割は罹患を認めず、民間医師による診断書の所見だけでは信用性に乏しいとした。

 原告全員を水俣病と認め、国などに賠償を命じた昨年9月の大阪地裁判決とは正反対の判断だ。

 国の救済範囲よりも対象を広く解釈した大阪地裁判決は、全員救済に光明が見えた。それだけに、今回の原告団長が「私たちの言い分を全く聞いていない」と憤るのも無理はない。

 気になるのは、両地裁の判決理由に大きな開きがあることだ。

 除斥期間の起算点について、大阪地裁判決は民間医師の診断時とした。感覚障害の発症時とすると、症状があってもメチル水銀の暴露が原因と気付かなかった場合、患者が救済されないためだ。

 一方、熊本地裁は起算点は発症時とした。水俣病の潜伏期間はメチル水銀の暴露からおおむね10年以内と指摘し、罹患した原告の発症時期から、既に除斥期間を過ぎたと結論付けた。

 差別の強さから名乗り出ることができなかった人もいる中で、水俣病と認められても、時間の壁に阻まれるのでは理不尽だ。

 罹患認定を巡っても判断が分かれた。大阪地裁判決が、長年水俣病の診療に当たってきた民間医師が策定した「共通診断書」の所見の信用性を認めた一方で、熊本地裁判決は、共通診断書のみでは認めることはできないとした。

 特措法は「あたう(可能な)限りの救済」をうたいながら、対象を患者多発地域で一定の居住歴がある人に制限した。出生年にも制約がある。約2年とした特措法の申請期限に間に合わず、対象から外れた人もいる。

 司法は、被害者救済の最後のとりでとして、治らぬ病の痛みのみならず、救済策からも漏れ、長年苦しんできた被害者の存在に目を向けてもらいたい。

 多くの被害者が高齢化する中で、救済に時間がかかり過ぎている現状は歯がゆい。

 国は恒久的な救済システムをつくるとともに、被害の全容解明に向けた調査に力を尽くすべきだ。

 新潟地裁では来月18日に、新潟水俣病第5次訴訟の判決が控える。いまなお苦しんでいる被害者を取りこぼすことなく、救済に向けた一歩が刻まれることを願う。