
原告女性宅で、お茶会を楽しむ小谷一明さん(中央)と渡邊名南さん(左)=新潟市東区
新潟水俣病第5次訴訟2013年12月、水俣病被害を訴える新潟市などの男女が、国と原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め、新潟地裁に提訴。原告の症状が水俣病によるものか、国に被害を拡大させた責任があったのかなどが争われている。は4月18日の判決まで1カ月を切った。提訴から10年の間、原告を陰で支えてきた人々がいる。原告と友人のように接したり、手紙をやりとりしたりする中で苦しみに触れ、「救済せずに放置している社会はおかしい」と感じてきた。判決で全員が水俣病(新潟水俣病1965年に阿賀野川流域で発生が確認された公害病。熊本水俣病に続く「第2の水俣病」といわれる。昭和電工(現・レゾナック・ホールディングス)鹿瀬工場(当時)の排水を原因とし、メチル水銀に汚染された魚を食べたことによる水銀中毒症。主な症状は手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)。患者に対する救済制度、企業や国の責任などを巡り、裁判や紛争が繰り返されてきた。)と認められ、早く楽になってほしいと願っている。(報道部・荒川真琴)
「お友達だと思っています」。新潟市東区の原告の女性(83)宅を訪ねた新潟県立大教授の小谷(おだに)一明さん(58)=新潟県新発田市=がそう話すと、女性はほおを緩めてうなずいた。
米国文学が専門の小谷さんは、4年ほど前の...
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