環境省の前田光哉審議官(奥中央)に新潟水俣病の被害を訴える阿賀野患者会の被害者女性=6月6日、環境省
環境省の前田光哉審議官(奥中央)に新潟水俣病の被害を訴える阿賀野患者会の被害者女性=6月6日、環境省

 新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。阿賀野患者会など全国の水俣病被害者や支援者が6月6日、環境省で前田光哉審議官と面会した。新潟県や熊本県の被害者団体などでつくる「ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議」と環境省の実務担当者同士が定期的に協議を開催し、問題の解決策を探ることで一致した。

 面会は、公害の根絶を目指す「全国公害被害者総行動デー」の一環。新潟県と熊本、大阪、東京の水俣病被害者や支援者ら約50人が参加した。

 6月5日に伊藤信太郎環境相が水俣病被害者との懇談を「解決法を具体的に話し合っていく場にしたい」と述べたことを受け、被害者側は、伊藤氏との懇談だけでなく実務者同士での協議を要望。前田氏は「覚悟を持って...

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