タイム追求 成長の支え

 日本男子マラソンの歴史の中で、五輪3大会連続出場を果たした選手は戦後2人しかいない。メキシコ五輪銀メダルの君原健二と、宇佐美彰朗だ。

 宇佐美は日大入学後に陸上を始めた。3年連続で箱根駅伝に出場、区間賞を獲得するも、決してエリートランナーではなかった。偉大な先輩たちの背中を追いかけ、タイムを追求するうちに日本を代表する選手になっていた。

「選手村の軟らかいマットレスは合わなかった」と五輪を振り返る。国内外11のマラソン大会で優勝するも、五輪では勝てなかった=東京都

 初めて出場した1968年のメキシコ五輪から、さかのぼること2年。初めて呼ばれた全日本合宿で「カルチャーショックを受けた」。1日4回、計100キロを走る君原たちの練習量に度肝を抜かれた。

 当時、日本のマラソン界は世界のトップを走っていた。「どうしたらそんなに練習...

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