素質発揮し希望与えて
1964年の東京五輪に県人女性として初出場した中村多仁子さんに当時を振り返ってもらい、2回目の東京大会への期待を聞いた。

五輪メダリストに特別な才能があるならば、中村さんにとってのそれは「観察力」だった。トップ選手を見て「すごいと思ったら、勝手に体に入ってくるという感覚を持っていた」。
61年、三条高から東京教育大(現筑波大)へ進んだ。体育館ではローマ五輪代表だった小野清子さんらトップ選手が技を磨いていた。中村さんは先輩から「練習はしなくていいから、"日本の宝"のサポートをしなさい」と命じられた。
体操を思う存分やろうと進学した中村さんにとって衝撃的な言葉だった。ならばと、気になった選手のウ...
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