【2022/05/03】
昭和終期の1985(昭和60)年、関越自動車道が全線開通した。この年から、新潟県の工場立地件数は4年連続で全国1位を記録した。
しかし平成に入り、バブル経済が崩壊すると急落。89(平成元)年は261件だったが、10年で8割以上減り、99年には35件になった。円高で製造業の海外進出が進み、国内経済の空洞化が叫ばれた。
2002、03年に県の企業誘致推進課長だった安藤哲也は「産業団地を造成したが、当時は企業誘致は落ち込み、ほとんどゼロに等しい状況だった」と振り返る。以降も立地件数は同程度の水準が続き、20年は28件だった。

平成初期、製造品出荷額が新潟と同規模だったのが福...
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