明治神宮野球大会が11月14日に開幕する。今回は高校の部に帝京長岡が初出場する。野球ファン以外の新潟県民にとってはなじみの薄い大会かもしれない。なにしろ、新潟県の高校が前回出場したのは12年前のことだ。今回が56回目の大会(高校の部は第4回から)で、新潟県勢が出場したのは過去4回だけ、出場した高校は2校だけだ。それでも、堂々と全国の強豪と渡り合い、優勝にあと一歩まで迫った年もある。今回は、その歴史をひもときたい。

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※帝京長岡の試合は新潟日報デジタルで速報します。

1977年(第8回)

 この年の秋の北信越大会、優勝したのは福井商業。準優勝は中越だった。以前の記事で中越の甲子園戦績を振り返ったが、夏の甲子園初出場を果たすのは、この翌年のことだ。県球史に名を残すエース左腕・三本聡投手はすでに注目されていた。

(※タップ、クリックで拡大可能。これ以降の紙面も同じ)

 実は、この年に明治神宮大会に出場したのは、福井商業でも、準優勝の中越でもない。県勢として初めて出場権を得たのは、準決勝で中越に敗れた長岡商業だった。

 初期の明治神宮大会は出場規定が明確に決まっておらず、地区によって異なっていた。この第8回大会の北信越代表としての出場権は、北信越大会の開催県の県大会王者に与えられた。この年は新潟県開催。これが県大会決勝を伝える紙面だ。

 長岡商業が優勝し、明治神宮大会に県勢として初出場という栄誉を得た。ところで、決勝の相手は新潟高校。この長岡商勝ち越しの場面を写した写真にいる捕手が誰か分かるだろうか? 後に東大のエースとして活躍、現在は「報道ステーション」のキャスターとして知られる大越健介さんだ。高校2年までは捕手、3年次は投手として全国や甲子園を目指したが、かなわなかった。

 長岡商は前年の秋、この年の春に続く県大会優勝だった。「粘りの根性だよ、うちにはそれしかないんだから」と試合後に語ったのは黒田貞一監督。機動力や守りを重視した緻密な野球で、県内の高校野球をけん引した名将の一人だ。中越の鈴木春祥監督も練習を参考にしたという。

 このように、出場決定から間に北信越大会を挟んで臨んだのが、県勢初の明治神宮野球大会高校の部だった。2回戦から登場し、相手は長島高校(三重県=中部地区代表)。当時の紙面がこちらだ。

 甲子園などの紙面に比べれば、記事の量はあっさりとしている。試合の流れを追った戦評があるだけ。ただ、試合自体は4-5の好ゲームだった。先に3点を奪うも、エースが6回に崩れる。8回に持ち前の「粘り」を見せて追い付いたが、その後に勝ち越された。

 ちなみに、脇の記事にある「江川」は巨人で活躍した名投手の江川卓さん。当時法大4年で、17奪三振完封に決勝本塁打と、さすがの活躍だ。この月の下旬に行われたドラフト会議でクラウン(現西武)からの指名を拒否。1年後に「空白の1日事件」という大騒動が起きる。

 一方、新潟県勢の明治神宮大会出場はこれ以後、「空白の28年」を迎えてしまうのだった。

2006年(第37回)

 世紀をまたぎ、...

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