1997年に公開された「もののけ姫」を、スタジオジブリで制作する近藤喜文=撮影・南正時

 アニメーション界の巨匠、宮崎駿と高畑勲が取り合った天才アニメーターがいる。それは五泉市出身の近藤喜文だ。今、地元で改めて光を当てようとする動きも出ている。

 両巨匠とのエピソードは今でもスタジオジブリの語り草だ。関係者の著書などからは近藤にほれ込んだ2人の思いが浮かび上がる。

 1987年、ジブリは2本のアニメ映画の制作に取りかかっていた。高畑の監督作品「火垂(ほた)るの墓」と、宮崎の「となりのトトロ」だ。

 宮崎は、近藤の腕を信頼していた。「おれがやるより、近(こん)ちゃんがやったほうがうまくいく。どうしても近ちゃんの力が欲しい」。連日、近藤の元を訪れ、トトロへの参加を説得した。

 一方の高畑も譲らなかった。「近ちゃんさえもらえれば、ほかのスタッフは全部、宮さん(宮崎)が選んでもいい」と言い張った。

 近藤から相談を受けたジブリプロデューサー、鈴木敏夫は悩みに悩んだ。結局、「宮さんは絵が描ける」との理由で、高畑を手伝ってもらうことにした。

 方針を宮崎に伝えた翌朝8時、鈴木は宮崎から電話を受けた。「近ちゃんを殴った」という内容だった。驚いていると、宮崎は言葉を続けた。「いや、夢の中で。もうすっきりしたから、やりますよ」

映画「耳をすませば」の一場面(C)1995 Aoi Hiiragi, Shueisha/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NH

 紆余(うよ)曲折を経て、近藤は「火垂るの墓」のキャラクターデザイン・作画監督という大役を任され、集大成とも言える傑作を生み出すことになった。

 幼少時代から、暇さえあれば絵を描いていた。ストーブの上に置いたやかんから、シュンシュンと湯気が出ている様子や、家族の似顔絵、動物…。一部の絵は今も五泉市の村松郷土資料館に残る。

 村松高を卒業後に上京。ジブリ以前に勤めていた制作会社「日本アニメーション」では、テレビアニメ「世界名作劇場」シリーズの「赤毛のアン」などを手がけた。

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