日連丸に乗船し犠牲になった父の富作さんの遺影を前に語る栗山誠さん。父の戦死の知らせや香典の記録は今も大切に保管している=三条市
日連丸に乗船し犠牲になった父の富作さんの遺影を前に語る栗山誠さん。父の戦死の知らせや香典の記録は今も大切に保管している=三条市

 太平洋戦争中、300〜400人の県人を含む約2800人が乗船した旧陸軍の輸送船「日連丸」が、北海道釧路沖で米潜水艦の攻撃を受けて沈没した事件から16日で82年となる。事件は軍事機密となり、約40年後にようやく事実が明らかになった。その間に、肉親がどのようにして世を去ったかを知らずに他界した親族も多い。父を亡くした三条市の栗山誠さん(84)は「家族だったら、どうして亡くなったのかを記憶にとどめたいと思うのは当然だ」と話し、知らぬまま先立った遺族のことを思うと、今も胸が痛む。

(長岡支社・後藤千尋)

旧日本軍「日連丸」沈没から82年、“隠され続けた”悲劇を後世に…犠牲者のひ孫・田辺里穂子さん(長岡出身)大学で卒論執筆

 当時34歳だった父の富作さんは、祖父が営む会社の鍛冶職人だった。1944年2月、新潟県出身者が多かった部隊「第4野戦病院」の衛生兵として入隊した。日連丸は3月16日夕、千島列島のウルップ島に向け釧路港を出港。午後8時半ごろ、釧路沖60キロほどの地点で魚雷攻撃を受け沈んだ。

 6月に戦死の知らせが届き、...

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