日本アニメ・マンガ専門学校と柏崎アニメスタジオの打ち合わせに立ち会う内田昌幸(中央)=4月、新潟市中央区

 線画に色を塗る「仕上げ」業務だけでは、スタジオの規模を広げるのは難しかった。だが、当初は教育できるベテランも、外部講師もいなかった。

 新潟アニメーション(新潟市中央区)が四苦八苦していた時期、内田昌幸(53)は、そのかじ取りを任された。

 妙高市出身。「幼いころから絵を描くのも、アニメも好きだった」。広告デザインが専門で、「まさかアニメスタジオの社長になるとは思わなかった」。

 2021年に社長になると早速、新たにスタッフ5人を加え、「作画部」を立ち上げた。仕上げに加え、ポイントとなる絵を描く「原画」、原画の間の動きを描く「動画」まで職種を広げた。

柏崎アニメスタジオなどとの打ち合わせに立ち会う内田昌幸(中央奥)=4月、新潟市中央区

 長年の懸案だった作画部の創設に踏み出せたのは、同じグループの開志専門職大アニメ・マンガ学部の存在が大きい。

 学部ができた21年は、学生は1年生のみ。大手スタジオに所属する教員2人が空いた時間を使い、つきっきりで作画部を指導した。

 東京のスタジオとの連携も強化した。

 スタジオが集中する東京では人材確保が深刻化し、仕事の外注先を探すのが難しい状況になっていた。一方、新潟アニメーションは人材は確保できるが、指導体制が弱かった。

 東京と新潟、それぞれの「強みと弱み」に着目。東京の元請けスタジオからの仕事を優先的に請ける代わりに、新潟の若手は仕事をしながら技術を磨いた。

 作画部の創設で、スタジオの認知度も上がった。

 動画と仕上げの仕事を一括で請け負えるようになり、エンドロールに社名が載る機会が増えた。五泉市出身の鶴巻和哉が監督した「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」(ガンダム・ジークアクス)や...

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