もあ特会員から寄せられた新潟地震についての主なメッセージは次の通り。
◆新聞で「13人死亡」見た、人的被害聞かなかった、犠牲者なしは信じがたい
●地震直後の高校の集会で「新潟駅前で死者が出たようだ。これから解散するが君たちも気をつけて帰宅するように」と言う担任の話を覚えているが、それ以上の情報は分からない。
●私は当時、「13人死亡」と新聞記事で見た。死因までは記憶にない。けが人は多かったと思う。
●地震当時は中学生で、中越地区に住んでいた。中学校も向かいにあった高校も、被害があった。信濃川の土手に避難した。その後しばらく小学校の空き教室に通った。ただ、人的被害は聞かなかった。
●高校2年だった。昼休みにグラっと揺れて怖かった。今の新潟市北区の家まで歩いて帰った。家がどうなっているのか不安で仕方なかった。数十人は犠牲になったと聞いていた。あのころはニュースは朝からずっと(新潟地震についての報道を)流していたように記憶している。犠牲者がいなかったとしたら信じ難い。
●内野小学校(現新潟市西区)の1年生だった。家へ帰るのに学校の廊下に出たら揺れた。まだ小さかったので、怖さはあまり分からなかった。内野小学校には寺尾から列車で通っている児童がいた。線路が曲がって列車が走れないから子どもたちは線路沿いに帰ったと聞いた。もっと大きかった子どもは地震の怖さが分かるので、いまだに怖い思い出があると話してくれる。
●当時8歳だった。当時は死者はゼロといわれていたと記憶している。昭和大橋が落ちたが、当時は「車の通行量が少なく、1台も川に落ちなかった」と聞いていた。
●小学生のとき、新潟地震が発生した。私はトイレに入り、手を洗っていた。先生が「私を探していた」と言うことでしかられた。私は地震を全く感じなかった。私1人が避難せず、先生たちは相当あせったようだ。今でも何が起こったのかさっぱり分からない。「死者数ゼロ」の件だが、当時、先生の言うには「すごい地震が起きたが、新潟県の人たちは適切な判断力と素早い行動力や助け合いの精神で死者数ゼロであり、新潟県民は素晴らしい」との教えがあった。小学生ながら「うそだ」と思って聞いていて、県民の団結力を醸し出す県の作戦だったのではないかと思っていた。近年、各地で地震が起きるようになり、「新潟地震の死者数◯◯人」という報道を見て、「あれ、やっぱり」と思っている。
●小学1年生で、昼休み中で校庭で遊んでいた。近くの小川の水面が大きく波打っていたのを今でも鮮明に憶えている。新潟市の県営アパートが傾いたことや、国鉄(現JR)越後線のレール上を多くの人たちが歩いているのを、ニュースで見た。「死者数がゼロ」という話は知らなかった。
●母校の5学年上の先輩が、地震が発生したときのショックで亡くなった。
●五泉市村松地区在住。私の姉は「死者は26人らしい」と言っていた。姉が誰から聞いたのかは不明。
●地震の時、私は保育園の年長で、昼休みで園庭で遊んでいた。そこは寺の敷地内にあり、灯籠(とうろう)が倒れたのを見た。現新潟市江南区はそれほど被害はなかったと思うが、市内でアパートが倒れたり、水が上がった街なかを避難している人の写真を見た。地震は怖い。