第一建設工業(新潟市中央区)の前身、新鉄(しんてつ)工業は1942年、100超の鉄道工事業者の結束で誕生した。終戦直後は荒廃した鉄道施設の補修工事などを手がけたが、49年に国鉄が公共企業体へと改組するのに伴い、事業環境は一変する。競争にさらされて受注が激減。このころの新鉄工業の売上高は2年で約6割減った。
「社長を引き受けることを辞退しようかとも考えた。それほど心細い会社の内情だった」。52年に国鉄や国内大手の鹿島建設を経て2代目社長に就いた佐藤忠三郎氏は、後に社内報でこう打ち明けている。
佐藤氏は思い切って改革の一手を打つ。国鉄改組に伴う退職者の受け皿としてつくられた「新潟鉄道施設工業」と...
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