かつて佐渡金山関係者の住居や商店が軒を並べた「京町通り」(新潟県佐渡市相川地区)。風情ある木造家屋の通りを金山に向かって進むと、コンクリートの土台が残る空き地にたどり着く。戦時中、朝鮮人労働者の食事を作った共同炊事場跡だ。
「日本人の女性がみそ汁を深いおけに入れて、縄で背負って寄宿舎に届けたそうです」と、戦時中の動員に詳しい地元在住の小杉邦男(85)は語る。

1943年に三菱鉱業佐渡鉱業所が朝鮮人労働者についてまとめた報告書「半島労務管理ニ付テ」によると、同年5月時点の従業員約1300人中、朝鮮人は584人。家族連れは社宅に、単身者は寄宿舎でそれぞれ生活した。寄宿舎は「相愛寮」と呼ばれ、現在...
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