中国黒竜江省山底村1995年10月撮影
中国黒竜江省山底村は牡丹江市の東およそ30キロ。村に差し掛かると綏芬河(すいふんが)へと続く濱綏(ひんすい)線の鉄路は大きなΩカーブを描く。90年代半ばまで蒸機が活躍した人気撮影地だった。かつてこの路線は、ロシアが建設した東清鉄道であり、その後南満州鉄道に引き継がれた。そして、2015年に綏芬河に至るバイパス線の開通によって旧線はさびたまま今も村を囲むように残されている。
26年前に初めての写真展を開催したときのことです。来場者からある1枚の写真に対して「これ、やらせ」という言葉を投げかけられました。冒頭の写真がそれです。校庭の奥の建物と建物の間に通過する蒸機を入れて撮影しました。
写真を撮影した1年3カ月前(1993年6月)にも1学年20数名の児童と先生を入れて同様に撮影し、帰国後、半切に伸ばして学校に送りました。後日、先生からの礼状が送られてきました。写真は撮ったものの、やはり全校児童を入れて撮影したいとの思いから学校を再訪しました。蒸機からDLに置き換わるのも時間の問題で、この場所で蒸機を撮るのも最後となるからです。始業前に校長先生を訪ね、全校児童と蒸機の集合写真を撮りたいと申し入れました。昨年のことを覚えていたらしく、快諾してもらって撮れた写真です。
昭和の大写真家土門拳は「絶対非演出の絶対スナップ」という言葉を用いて写真愛好家たちを指導していました。私の好きな名言の1つです。言葉通り、スナップ写真の“基本”は演出作為的であってはならないとう主張です。かくいう土門も子どものスナップ撮影時に、もう1回(縄跳び)飛んでみようかと声をかけて撮った逸話もあります。
その言葉尻を捉えてそれをやらせ演出だ、と言うこともできます。被写体、遊ぶ子どもたちを見守りながらあるいはその輪に入り対話を持ちながらと考えたなら、それを“やらせ、演出”と安直に判断することとは、いかがなものかと考えます。冒頭の写真の過程を書きましたが、どのように判断するかは読者の皆さんに委ねるところです。しかしながら、前述の通り「やらせ」と問われての率直な感想として、きっとこの写真を見て驚嘆したからだと勝手に解釈しています。撮影ツアーで中国に何度と訪れたとしてもこうした写真を撮ることは不可能です。一写真家として取材を通じて人的交流を経て得られたことから生まれた作品だからです。
写真を撮影した1年3カ月前(1993年6月)にも1学年20数名の児童と先生を入れて同様に撮影し、帰国後、半切に伸ばして学校に送りました。後日、先生からの礼状が送られてきました。写真は撮ったものの、やはり全校児童を入れて撮影したいとの思いから学校を再訪しました。蒸機からDLに置き換わるのも時間の問題で、この場所で蒸機を撮るのも最後となるからです。始業前に校長先生を訪ね、全校児童と蒸機の集合写真を撮りたいと申し入れました。昨年のことを覚えていたらしく、快諾してもらって撮れた写真です。
昭和の大写真家土門拳は「絶対非演出の絶対スナップ」という言葉を用いて写真愛好家たちを指導していました。私の好きな名言の1つです。言葉通り、スナップ写真の“基本”は演出作為的であってはならないとう主張です。かくいう土門も子どものスナップ撮影時に、もう1回(縄跳び)飛んでみようかと声をかけて撮った逸話もあります。
その言葉尻を捉えてそれをやらせ演出だ、と言うこともできます。被写体、遊ぶ子どもたちを見守りながらあるいはその輪に入り対話を持ちながらと考えたなら、それを“やらせ、演出”と安直に判断することとは、いかがなものかと考えます。冒頭の写真の過程を書きましたが、どのように判断するかは読者の皆さんに委ねるところです。しかしながら、前述の通り「やらせ」と問われての率直な感想として、きっとこの写真を見て驚嘆したからだと勝手に解釈しています。撮影ツアーで中国に何度と訪れたとしてもこうした写真を撮ることは不可能です。一写真家として取材を通じて人的交流を経て得られたことから生まれた作品だからです。
中国湖南省郴州(ちんしゅう)市 1998年10月撮影
軌間762㎜の狭軌鉄道を行くC4型蒸機。かつて中国各地に、こうした資源開発の狭軌鉄道が存在していたが産業の衰退とともにその多くが廃線となった。
そして、もう1枚掲載した写真の裏側というか過程について書きます。
この写真は全長70キロほどの狭軌鉄道で1日1往復の混合列車が走っていた路線です。車で追いかけながら道中3回ほど同一列車を撮影出来ました。そして、折り返しとなる復路の列車を追い抜き趣のある民家を発見してその場所で待つことにしました。通過まであと15分ほどだったでしょうか。
その時点では家の家人は不在で辺りに人影もなく、家屋と蒸機の組み合わせで三脚に24㎜レンズ縦位置でカメラを据えてその時を待ちました。そこに人でも家畜などの存在があったならと思いましたが仕方ないです。
ところが、通過数分前に家人の老夫婦がお孫さんとともに帰宅し玄関があけられました。そして、突然の来訪者の私と中国人の友人に対して軒先に椅子を用意してくれました。その椅子を老夫婦に譲り友人にアングルの外に位置に下がってもらって私から老夫婦への質問を通訳してもらいました。
この家は築何年ですか?と尋ねたなら15年ほどでそろそろ建て替えると聞きました。それから列車が通過までお孫さんやら地域の話などなんでも質問を繰り返しました。全てはこの空間というか間合いを維持するためです。列車撮影のことは既に伝えていますが、よってそこにとどまってと言うことは絶対に言いません。なぜなら撮られるという意識をあたえたならこの自然体が崩壊するからです。
写真の裏話をしました。この写真もまた読者のみなさん、どのような感想を持ちましたか。下記のアドレスに、ご意見ご感想をアドレスにお寄せいただいたなら幸甚です。そのすべてに回答は難しいですが、いつかこのブログに反映できたならと思います。
nigatateturo@outlook.jp
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