私は蒲原鉄道の廃線跡のほか、信越本線貨物支線の廃線跡の撮影にも取り組んでいます。その貨物支線はかつて焼島から東新潟港(2.1キロ)を結び、1998年11月の運行を最後に貨物列車の入線は見られなくなり、2002年6月に休止線となりました。事実上の廃止ですが、今も線路は残されています。
支線の線路端は幼少の頃の遊び場であり、小学生になると毎日踏切を渡って登校していました。登下校途中に警報音が鳴ったら、それはダッシュの合図。遮断機が下りたなら貨物列車の入れ替え作業が始まり、5分くらいだったか忘れましたがとにかくしばらく待たされるからです。
もちろん当時(1975年頃)は“鉄”になる前というか、近所...
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