
1974年2月24日夜。新潟県佐渡農地事務所の若い職員が突然、姿を消した。新潟市西蒲区出身の大沢孝司(たかし)さん=失踪当時(27)=。失踪から50年。「北朝鮮による拉致北朝鮮が日本に暮らす人々を無理やり連れ去る「拉致」を行い、いまだに多くの被害者が帰国を果たせていない問題。2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮の当時の指導者・金正日(キム・ジョンイル)総書記が日本人を拉致した事実を初めて認める。日本政府が認定する拉致被害者は17人。このうち5人が02年10月に帰国した。政府認定被害者のほか、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない「特定失踪者」が400人以上(民間団体調査)いる。の可能性が排除できない特定失踪者北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者。2002年に、かつて北朝鮮による拉致被害者として名前が浮上していなかった曽我ひとみさんが帰国したことなどを受け、03年に民間団体「特定失踪者問題調査会」が特定失踪者を独自にリストアップしている。政府認定の拉致被害者は、02年に帰国した5人を含めて17人。」と呼ばれるようになったが、状況に大きな変化はない。今も家族は青年の孝司さんしか思い描けないもどかしさの中で、再会の日を待ち続ける。(3回続きの2)
- 連載<上>「孝司だかや!」大声でひ孫に駆け寄った父
- 「ただ会いたい」…大沢孝司さんが消息絶って50年、兄が心境吐露
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2002年9月17日、当時の小泉純一郎首相が訪朝し、北朝鮮は日本人拉致を認めた。数日後、北朝鮮が「生存」と公表した5人のうち、1人が新潟県佐渡市の曽我ひとみさん1978年8月12日、母のミヨシさん=失踪当時(46)=とともに北朝鮮に拉致された。2002年、ひとみさんは拉致されてから24年ぶりに帰国を果たしたが、ミヨシさんは日本に戻れないままでいる。ミヨシさんとの再会、帰国を願うひとみさんは署名活動や、佐渡市内の小中学校などで拉致問題を知ってもらうための講演を続けている。(64)だと報じられた。曽我さんはこの時点で、政府認定の拉致被害者ではなかった。
「佐渡でこんなことがあったぞ」。大沢孝司さん=失踪当時(27)、新潟市西蒲区出身=のいとこが曽我さんの情報が載った号外を握りしめ、孝司さんの長兄昭一さん(88)が営む材木店の事務所に駆け込んだ。孝司さんと同じ佐渡での失踪。昭一さんは弟の拉致を直感した。
すぐに親族に...