
大沢昭一さん(左から2人目)と共に記者会見に臨む平岡一郎さん(右端)ら「再会を果たす会」の役員たち=2月22日、県庁
1974年2月24日夜。新潟県佐渡農地事務所の若い職員が突然、姿を消した。新潟市西蒲区出身の大沢孝司(たかし)さん=失踪当時(27)=。失踪から50年。「北朝鮮による拉致1970~80年代、北朝鮮が日本人を連れ去る国際犯罪を重ねた。工作員の教育などが目的とされる。2002年の日朝首脳会談で金正日総書記が拉致を認めて謝罪。被害者5人が帰国し、8人は「死亡」とされた。日本政府認定の被害者は計17人で、北朝鮮は4人を「未入国」と主張している。日本側は説明に不審な点が多いとして受け入れず、交渉は停滞している。の可能性が排除できない特定失踪者北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者。2002年に、かつて北朝鮮による拉致被害者として名前が浮上していなかった曽我ひとみさんが帰国したことなどを受け、03年に民間団体「特定失踪者問題調査会」が特定失踪者を独自にリストアップしている。政府認定の拉致被害者は、02年に帰国した5人を含めて17人。」と呼ばれるようになったが、状況に大きな変化はない。今も家族は青年の孝司さんしか思い描けないもどかしさの中で、再会の日を待ち続ける。(3回続きの3)
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- 連載<中>もしあの時、動いていれば…
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大沢孝司さんが行方不明になり50年となるのを前に、孝司さんの兄・昭一さん(88)は2月22日、県庁で会見に臨んでいた。その脇を固めたのは「大沢孝司さんと再会を果たす会」の役員たち。昭一さんの言葉を補強するように、会長の平岡一郎さん(80)らが次々と発言した。
「孝司さんの拉致被害者としての認定に向け、頑張っていることを県民にも知ってもらいたい」。会の結成から、この日でちょうど20年。昭一さんら家族の...
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