全国からの注文に応え、キセルをつくる飯塚昇るさん=2016年6月
全国からの注文に応え、キセルをつくる飯塚昇るさん=2016年6月

 新潟県燕市のきせる職人、飯塚昇(いいづか・のぼる)さんが1月28日、肺炎のため、90歳で亡くなった。燕市の「最後のきせる職人」として知られ、地場の伝統産業に一身をささげた人生に、ゆかりのある人たちから悼む声が上がった。

 飯塚さんは燕市出身。中学卒業後、きせる職人の父に弟子入りし、制作技術を学んだ。30代後半で電機部品製造に転業したが、60歳できせる制作を再開。地場の伝統技術の継承に努め、卓越した技能者として2012年、県三条地域振興局から「にいがた県央マイスター」に認定された。

 燕市のきせる作りは江戸時代に始まり、昭和初期にかけて隆盛を極めたが、材料の高騰や紙たばこの定着で1950年代に衰退...

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