
有本恵子さん=失踪当時(23)=の父明弘さんが96歳で亡くなり、未帰国の政府認定拉致被害者の親世代で健在なのは横田めぐみさん1977年11月15日、新潟市立寄居中学1年の時の下校中に失踪。2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認めた。北朝鮮はめぐみさんは「死亡」したとして04年に「遺骨」を出したが、DNA鑑定で別人のものと判明。北朝鮮の説明などに不自然な点が多く、日本政府は生存を前提に再調査を求めているが、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としている。=失踪当時(13)=の母早紀江さん(89)だけになった。早紀江さんは2月17日、川崎市で報道各社の取材に応じ「いよいよ1人になってしまった。むなしい。悔しい。(拉致問題は)どうして動かないのか」と声を絞り出した。
明弘さんとは1997年に拉致被害者家族会を結成した時から、共に救出を訴えてきた。単身でも国の役所や政治家のもとへ乗り込んだという明弘さんを、早紀江さんは「熱心で一生懸命で、本当に何でもやろうとしていた」とたたえる。
早紀江さんは京都市出身で、同じ関西出身の明弘さんの妻・嘉代子さん=2020年2月に94歳で死去=とは特に親しかった。夫妻の人柄を「関西人独特な、まろやかな温かい人格だった」と振り返る。
嘉代子さんが亡くなって4カ月後、早紀江さんの夫滋さんが87歳でこの世を去った。当時、明弘さんは「よう頑張ったのになあ、残念なことやなあ」と早紀江さんに声をかけた。
明弘さんは高齢になっても車椅子に乗って上京し、2024年11月の国民大集会などに参加していた。早紀江さんは、明弘さんの衰えを感じ「無理しないでね。私たちが頑張るから」と気遣ったが、明弘さんは「まだ大丈夫や」と強がった。
早紀江さんは16日夜に訃報を受けた。驚きとともに去来したのは「これだけ頑張られたのに、ひと目だけでも、写真だけでも(今の恵子さんを)見せてあげられなかったのか」という強い疑問だった。
政府から拉致問題の具体的な進展が聞かれなくなって久しい。早紀江さんは「私も来年いないかもしれない。生きている間に言えるだけのことを言う」と決意を語り...