「新潟愛」やPTSDの闘病など、多くの思いを語った元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さん=東京都千代田区

 「生粋の新潟っ子です」。柔らかい笑顔で“宣言”したのは元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さん(27)だ。新潟県阿賀野市(旧水原町)で生まれ育った。天真らんまんな姿を全国に届けていた渡邊さんは2024年10月、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ったことを公表した。阿賀野市で中越地震を経験。身近な人たちを思い「理不尽に傷つかないでほしい」と願っていた自身に降りかかった理不尽な苦しみ。「病気になって社会から離れた私は『透明人間』でした」。目に見えない心の痛みと向き合う日々は今も続く。精神疾患に対する共感と理解が広がるきっかけになればと渡邊さんは発信を続ける。「私は私の伝えたいことを伝えるだけです」。故郷への思い、闘病、これから―。新潟日報社のインタビューに飾らない「透明な思い」を明かした。

故郷の阿賀野市で過ごした日々を語る渡邊渚さん=東京都千代田区

 「父が水原町で母は十日町市の出身なので、私は生粋の新潟っ子なんです。顔は母の家系に似ていて、好奇心旺盛であらゆることに疑問を持つところは父に近いなと思います。水原は自然豊かで、そこで過ごしたときの記憶は、はっきりと残っています。自宅前の水路ではザリガニを釣って、自宅裏の竹林ではタケノコを掘っていました。小学校の通学路も覚えているし、校歌も歌えます。小学1年生のときに担任の先生からもらったソフト下敷きは今でも愛用しています。年季が入っているので黄ばんでいますが、大切な宝物です。そして、水原の思い出の地といったら瓢湖。ハクチョウに餌をあげている写真やビデオが残っています。故郷の誇りです

渡邊渚さんが「大切な宝物」に挙げたソフト下敷き(右)。年季が入った下敷きを持ち笑顔を見せる(左)=東京都千代田区

 「母方の祖父は十日町で着物の染色職人をしていたので、小さい頃、工場で作業をしている姿を見ていました。二十歳の成人式には、十日町で作られた振り袖で出席しました。新潟には毎年、必ず行っています。東京にいても、お店で『新潟県産』って書いてあると、うれしくなって選ぶときの決め手になります。お米とか日本酒とか。そんなときに自分のルーツを感じます」

二十歳の成人式で十日町産の振り袖を着た渡邊渚さん(渡邊さん提供)

◆中越地震の衝撃…「生きていることは当たり前じゃない」

「新潟愛」にあふれる渡邊さん。小学2年生のとき故郷の阿賀野市を離れる。きっかけは7歳で直面した2004年10月の中越地震の衝撃だった。

 「発生の日(10月23日)は3歳下の妹の...

残り4785文字(全文:5620文字)