横田哲也さん(左)を招いた授業で、生徒と命の大切さを考える佐藤佐知典さん=3月4日、東京都立川市の立川第七中
横田哲也さん(左)を招いた授業で、生徒と命の大切さを考える佐藤佐知典さん=3月4日、東京都立川市の立川第七中

 北朝鮮による横田めぐみさん1977年11月15日、新潟市立寄居中学1年の時の下校中に失踪。2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認めた。北朝鮮はめぐみさんは「死亡」したとして04年に「遺骨」を出したが、DNA鑑定で別人のものと判明。北朝鮮の説明などに不自然な点が多く、日本政府は生存を前提に再調査を求めているが、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としている。拉致事件を取り上げ、東京で人権教育を長年続けてきた中学校教員の佐藤佐知典さん(65)がこの春、退職する。新潟市寄居中1年で拉致1970~80年代、北朝鮮が日本人を連れ去る国際犯罪を重ねた。工作員の教育などが目的とされる。2002年の日朝首脳会談で金正日総書記が拉致を認めて謝罪。被害者5人が帰国し、8人は「死亡」とされた。日本政府認定の被害者は計17人で、北朝鮮は4人を「未入国」と主張している。日本側は説明に不審な点が多いとして受け入れず、交渉は停滞している。されためぐみさんを思い、「救出を諦めたら中学教員失格」との信念が20年を超える取り組みを支えた。3月4日に最後の授業を終えたが、「めぐみさんが帰ってくるまで終わりではない。命ある限りどんな形でも活動を続ける」と語った。

 4日、佐藤さんが勤める東京都立川市の立川第七中学校で、めぐみさんの弟哲也さん(56)が講演した。哲也さんは生徒たちに「被害者は北朝鮮で助けを待っている。現在進行形の問題だ」と訴えかけた。その傍らに、講演を企画した佐藤さんの姿があった。

立川市立立川第七中で講演する横田哲也さん=3月4日

 めぐみさんが13歳で拉致された1977年当時、佐藤さんは新潟市の高校生だった。父親がめぐみさんの父滋さん=2020年死去=と同じ日銀新潟支店に勤め、家族ぐるみの付き合いだった。1997年に拉致の可能性が表面化すると、東京で教員をしていた佐藤さんは各地で署名活動を始めた。保護者の同意を得た生徒を連れ、めぐみさんの母早紀江さん(89)や滋さんと街頭に立った。

横田哲也さんを迎えた講演会で司会をする立川市立立川第七中教員の佐藤佐知典さん

 めぐみさんの失踪後、「何もできなかった」との思いを引きずっていた。2002年に北朝鮮が日本人拉致を認めた後は、立川第七中に横田夫妻らを招き、何度も講演を企画。初めて行った03年、夫妻は切々と親心を訴えた。早紀江さんは「必ずここにめぐみを連れてくる」と生徒の手を握り、生徒たちは泣いていた。

 立川第七中学校には1999年から26年間勤務。管理職への昇進試験を断り、定年後に再任用となった後も、生徒とめぐみさんや家族の心境を考える授業などを毎年続けた。失踪時のめぐみさんと同世代の子どもにとって、最も大事な「命の授業」...

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