妙高市発足20周年を記念し市役所に掲げられた巨大看板。市を象徴する妙高山が大きくデザインされている
妙高市発足20周年を記念し市役所に掲げられた巨大看板。市を象徴する妙高山が大きくデザインされている

 新井、妙高高原、妙高の旧3市町村が合併し、妙高市が発足して1日で20年を迎えた。新市は地域のシンボルでもある名峰妙高山の名を冠し、自然豊かなイメージを生かしたまちづくりに取り組んできた。合併時4万人近くいた人口は3万人を割り込み人口急減に直面。その一方で、観光で地域活性化を図り、外資系投資ファンドによる大型リゾート開発も進む。県境の地方都市の来し方行く末を取材した。(3回続きの1)

 3月下旬、妙高市役所に合併20年を記念する巨大看板が登場した。全面にデザインされたのは雄大な妙高山の山並み。市のシンボルであることを表している。

 「平成の大合併」で市町村合併が動き出した2000年代初頭、頸南地域では旧新井市を軸に5市町村の枠組みが想定されていた。

 しかし、上越市が頸北から頸南までに至る広域合併を提唱したこともあり頸南から板倉、中郷の2町村が上越へ合流。残った新井、妙高高原、妙高の3市町村は、編入か新設か合併方式を巡り意見が分かれた。

 最終的に新井市に妙高高原町、妙高村を編入する方式となったが、町村側から示されたのが市名を「妙高市」とする案だった。市町村合併では編入する側の名前を残す例も多い中、新井側は受け入れた。当時市長だった入村明さん(77)は「妙高が地域を象徴する名前であることは間違いなく、知名度もある。新井にこだわる必要はないと判断した」と振り返る。

 もう一方の当事者、妙高高原の町長だった岡山紘一郎さん(81)は、2町村には県境を越えた長野県側との合併構想もくすぶっていたと述懐。「役所を新井に置くのは概ね合意していたが、全てを新井のままでとの雰囲気ではなかった」と打ち明ける。

 名を捨てて実を取る。それが妙高市の合併だった。

▽新市名生かした「妙高戸隠連山国立公園」、観光誘客の起爆剤に

 新市名をどう生かすかは合併後の大きな命題だった。代表的な取り組みに、15年に指定された「妙高戸隠連山国立公園」がある。

 上信越3県にまたがる既存の国立公園から妙高と長野県の戸隠を独立させる-。市は観光誘客の起爆剤として14年に活動を本格化。北陸新幹線との相乗効果もにらんで国への働きかけなどを重ね、わずか1年ほどで実現にこぎつけた。

 初代市長としてけん引した入村さんは「妙高の名が付いたナショナルパーク。やはりインパクトは大きい」と効果を語る。案内施設「妙高高原ビジターセンター」は年間5、6万人だった来場者が、近年は施設のリニューアルを経て15万人以上に増加した。

 松井茂館長(59)は「妙高の豊かな自然に関心を持ってもらえるきっかけになった。景色や植物を楽しめるガイドツアーなどで、さらにファンを増やしていきたい」と意欲的だ。

▽妙高の名に「高原イメージ」「響きにストーリー性」のブランド効果

 妙高の名は地域を発信するブランドとしても浸透してきた。その一つが旧妙高村のエリアを中心に生産しているトマトなどの農作物だ。

 標高が高いため夏も比較的気温が低いほか、寒暖差を生かして甘みが強い。同地域をエリアとするJAえちご上越・頸南営農センター(上越市板倉区)の清水昌彦営農指導員(52)は「高原のイメージを打ち出してPRできるので、消費者から高い支持を得ている」と手応えを語る。

 その人気を表しているのが、市が05年秋に整備した...

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