
AIを活用した被爆証言応答装置の製作で、200項目以上の質問に答える内藤慎吾。3日間計10時間の収録で、力の限り思いを語った=2024年11月、広島市(撮影・西詰真吾、共同)
手をつなごうとした瞬間、全身黒焦げになった父の手の皮がずるっとむけた。冷たいぬるりとした感触に、思わず手を引っ込めてしまった。1945年8月6日、広島。6歳で被爆した内藤慎吾(ないとう・しんご)(86)は、父に対しての仕打ちを今でも申し訳なく思っている。
父、母、2人の兄、弟、妹。原爆で家族6人全員を失った。凄絶(せいぜつ)な記憶は、長い間心の中に封印されていた。
あれから80年。広島市は、内藤ら被爆者5人の証言を映像で記録し、人工知能(AI)技術で彼らと疑似的に対話できる「被爆証言応答装置」の製作を進めている。
平均年齢86歳を超えた被爆者。一人もいなくなる日は遠くない。「未来の子どもたち...
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