
2025年8月26日新潟日報より
参院選後に表面化した石破茂首相の退陣を求める自民党内の「石破降ろし」は約半世紀前の「三木降ろし」に準(なぞら)えられることが多い。党内第5派閥を率いていた三木武夫首相(当時)の退陣を求めて自民党所属の国会議員の約7割が包囲網を形成した三木降ろしと、党内基盤が脆弱(ぜいじゃく)な首相を多数の自民党議員が追い詰める石破降ろしの構図が重なるからだ。
ただし、この二つの首相退陣要求劇には決定的な違いがある。三木降ろしは反三木勢力が「挙党体制確立協議会」(挙党協)を発足させ組織的に三木氏に圧力を掛け続けた。いわば「名乗り」をあげて退陣を迫ったことにあった。当時の自民党幹事長、中曽根康弘氏(後の首相)の回顧録『天地有情』によると、挙党協には277人が署名をした上で参加した。この中には閣僚20人のうち15人も名を連ねていた。
しかし、挙党協側に弱点があった。...
残り1486文字(全文:1864文字)