
昭和26年、ボクは四ツ合中(潟東中)を卒業した。いとこやクラスメートと一緒に、農業高校に行きたかったんだけど、経済的に許さない。それなら少しでも絵がかけるところがいいと思って、オヤジが人づてに見つけてくれた新潟市の看板屋で働くことにしたですよ。
東堀六の「小熊塗装店」。最初は日給50円と言われたんだ。それじゃあまりにも…と、オヤジが頼んだら「じゃ100円」という事になった。それでも月3千円。まだまだ「でっち奉公」という意識が抜けきっていない時代だったんだね。
最初は「塗装部」に回されて、昭和石油のドラム缶塗りをやらされたの。朝から晩まで、緑とオレンジ色の二色だけ。それが半...
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