土砂に埋まった車の中から、行方不明となっていた親子のうち、2歳の男児が救出された=2004年10月27日、長岡市妙見町
土砂に埋まった車の中から、行方不明となっていた親子のうち、2歳の男児が救出された=2004年10月27日、長岡市妙見町
土砂崩れ現場の地図

 「この悲しみを一日も忘れたことはない」。新潟県中越地震2004年10月23日、新潟県中越地方を震源として発生した地震。旧川口町(現在の長岡市)で震度7、旧山古志村、旧小国町(いずれも現長岡市)、小千谷市で震度6強を観測した。新潟県や内閣府の資料によると、地震の影響で68人が亡くなり、4795人が重軽傷を負った。住宅の被害は計12万1604棟で、このうち全壊は3175棟、大規模半壊は2167棟、半壊は1万1643棟だった。で長岡市妙見町の土砂崩れに巻き込まれ、娘の貴子さん=当時(39)=と孫娘の真優ちゃん=当時(3)=を亡くした魚沼市の皆川敏雄さん(88)が、新潟日報社のインタビューに応じた。地震では、もう一人の孫の男児(22)=当時(2)=が約92時間後に救助された。「3人とも助からなかったら、今ごろ生きてはいない。あの子が俺の支えだ」。希望と悲しみを胸に抱えてきた20年を振り返った。

 敏雄さんは20年前のあの日を鮮明に覚えている。当時、魚沼市内でラーメン店を営んでいた敏雄さんは10月23日午前9時ごろ、忘れ物を取りに店から自宅に戻ってきた。ちょうど貴子さんが真優ちゃんと男児を連れて、新潟市へ出かけようとしているところだった。「真優は保育園に入って半年、お母さんと一緒ということで、それは本当にうれしそうだった」

 しかし、その姿になぜか不安と寂しさを感じ、涙がこぼれた。「気を付けて行ってこいよ」。貴子さんと真優ちゃんに最後にかけた言葉だった。「今考えると、虫の知らせだったか」

 午後5時56分、震度7の揺れが中越地方を襲った。店から自宅に戻っても3人はいない。翌日、翌々日、小千谷市の体育館や3人が通ったと思われる道で写真を見せながら、行方を尋ねて回った。警察から3人が乗った車が妙見の崩落に巻き込まれたと伝えられたのは26日だった。

 27日、現場に向かうと、救急車や重装備の工作車が何台も並んでいた。余震も続く中、救出作業が始まった。男児が救出された瞬間...

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