
ボクが立て続けにヒットを飛ばすことができたのは、人のやらない分野を探して開拓したからだと思うよ。
昭和42年、少年マガジンで「天才バカボン」を始めたときは「バカ」を主人公にしようと思った。差別と誤解されないように、ナンセンス路線で、突き抜けた笑いを追求したんだ。
同じ年に少年サンデーで始めた「もーれつア太郎」は、任侠ものでいこうと決めた。ちょうど学生運動のころで、いじめられても決してメゲないハニャロメと、目玉つながりの警官のけんかが共感を呼んだよ。
全共闘で「ニャロメ派」と名乗った小グループが出て話題になったりした。ボクは感覚的に時代の空気を掴むんだね。
忙しいときで週刊...
残り858文字(全文:1158文字)