「保谷国民学校」の学校日誌
 「保谷国民学校」の学校日誌
 埼玉県川口市の郷土資料館で、学校日誌を調査する学習院大の斉藤利彦名誉教授(左から2人目)ら=7月
 国民義勇隊の竹やり訓練について記された「川口市芝国民学校」の学校日誌
 終戦の日の日誌
 戦時下の学校日誌について話す学習院大の斉藤利彦名誉教授
 1945年8月15日の保谷国民学校の学校日誌。「號泣慟哭無念の涙」との記述がある
 学校日誌が発見された当時のニュース映像を見る福岡県久留米市立大善寺小の児童=8月6日、久留米市
 「大善寺国民学校」の日誌を手にする市川昌庸さん(左)と、日誌が見つかった書棚を示す福岡県久留米市立大善寺小の石橋敬嗣校長=8月6日、久留米市

 戦時下の国民学校などで校内の出来事を記録した「学校日誌」について、学習院大の斉藤利彦名誉教授(日本教育史)の研究グループが調査したところ、28都道府県と台湾で少なくとも約110校分が残されていたことが分かった。「児童爆死」「特攻隊顕彰」などの記述があり、子どもたちや地域が戦争に巻き込まれた様子や、軍国主義教育の影響が色濃く浮かぶ。斉藤氏は「当時の状況を知る貴重な1次資料だ」としている。(共同通信=黒木和磨、中村岳史、細川このみ)

 ▽戦後処分も多く

 学校日誌は日々の出来事や、児童の出席状況などを教職員が書き残した記録。文部科学省の担当者は、保存期間の規定など戦時下の扱いは「情報がなく不明」とし...

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