J1アルビレックス新潟の来季のJ2降格が、20クラブ中最速で決まった。独自のサッカースタイルは輝きを失い、色あせた。なぜ新潟の2度目のJ1挑戦は3年で幕を閉じたのか。背景に迫った。(5回続きの2)
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J2降格決定一夜、ゴール裏にあふれる悔しさ
J2降格決定後、最初の試合となった26日のホーム神戸戦。試合後、入江徹監督は冷たい雨の中、無言でサポーターに頭を下げた。
クラブ史上ワースト2位タイの16戦未勝利。監督就任後の未勝利は15となり、J1歴代最長を更新した。なぜ、ここまで崩れたのか。発端は今から1年前にさかのぼる。
2024年10月中旬、クラブは松橋力蔵監督(当時)に来季の続投オファーを出した。しかし、松橋氏は返事を保留。J1残留が確定しておらず「リーグ戦に集中したい」との要望を受け入れ、交渉はストップした。...
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