横田めぐみさんの母校で開かれた早期帰国を願う集会=14日、新潟市中央区

 横田めぐみさん1977年11月15日、新潟市立寄居中学1年の時の下校中に失踪。2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認めた。北朝鮮はめぐみさんは「死亡」したとして04年に「遺骨」を出したが、DNA鑑定で別人のものと判明。北朝鮮の説明などに不自然な点が多く、日本政府は生存を前提に再調査を求めているが、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としている。=失踪当時(13)=が新潟市で北朝鮮に拉致1970~80年代、北朝鮮が日本人を連れ去る国際犯罪を重ねた。工作員の教育などが目的とされる。2002年の日朝首脳会談で金正日総書記が拉致を認めて謝罪。被害者5人が帰国し、8人は「死亡」とされた。日本政府認定の被害者は計17人で、北朝鮮は4人を「未入国」と主張している。日本側は説明に不審な点が多いとして受け入れず、交渉は停滞している。されてから15日で48年となるのを前に、めぐみさんの早期帰国を願う集会が14日、母校の新潟小学校(新潟市中央区)で開かれた。めぐみさんの母早紀江さん(89)=川崎市=から電話を通じて娘を待つ思いを聞き、児童430人が一刻も早い家族との再会実現を祈った。

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 めぐみさんは新潟小を卒業後、近くにある寄居中学校の1年生だった1977年11月15日、帰宅途中で拉致された。拉致問題の理解を深めようと新潟小では毎年、帰国を願う集会を開いている。

横田めぐみさんの母校で開かれた早期帰国を願う集会=14日、新潟市中央区

 集会では、めぐみさんの同級生の池田正樹さん(61)=新潟市中央区=が、めぐみさんとの思い出や家族の救出活動について語った。

 早紀江さんは電話で「こんなに長い間救出しようと頑張っているので、これからもよろしくお願いします」などと呼びかけ、児童は真剣な表情で耳を傾けた。

横田めぐみさんの母校で開かれた早期帰国を願う集会=14日、新潟市中央区

 児童を代表し、6年生3人がめぐみさんにメッセージを読み上げた。男子児童(12)は「当たり前の日常が奪われたことは想像もできない悲しみだと思う。めぐみさんが帰って来る日が一日も早く訪れることを強く願っている」と訴えた。

◆伊豆見元氏インタビュー「拉致解決へ日本が主体的に」

 1977年に新潟市で横田めぐみさん=失踪当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから15日で48年。母早紀江さん(89)が高齢となる中、15日に新潟市で「忘れるな拉致 県民集会」が開かれ、被害者の帰国と一刻も早い問題解決を訴える。先月就任した...

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