平和祈念公園で手を合わせる親子。母親は「戦争を知らない世代なので子どもにも伝えなくては」と語った=3月、沖縄県糸満市
平和祈念公園で手を合わせる親子。母親は「戦争を知らない世代なので子どもにも伝えなくては」と語った=3月、沖縄県糸満市
大叔父、猪狩幸三の肖像画
大叔父が所属した部隊の記録(右)。左は「軍直部隊史実資料(五)」(防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵)
畑などが広がる沖縄県糸満市の山城地区
沖縄県糸満市の緑地帯で、戦没者のものとみられる遺骨に手を合わせる具志堅隆松さん=3月
平和祈念公園にある「平和の礎」。大叔父の名前が石碑の下方に刻まれていた=3月、沖縄県糸満市

 太平洋戦争末期の沖縄戦では、日本とアメリカ双方で20万人以上が死亡した。出征し、32歳で亡くなった私の祖父の弟(大叔父)もその一人だ。ことし2025年で戦争が終わってから80年となった。「大叔父がどんな思いで沖縄に向かい、最期を迎えたのか知りたい」。私は、親族の言葉や旧日本軍の資料を元に、大叔父の足跡をたどり始めた。(共同通信=猪狩みづき)

【動画はこちらから】https://youtu.be/kvbSOLvCMIU

 ▽肖像画に残る面影

 大叔父の名前は猪狩幸三。太平洋戦争中に、初めにビルマ(現ミャンマー)、2度目は沖縄に出征し、「戦死不明で帰らぬ人」となった。形見は何もなかった。私の祖父が生前...

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