岡田黎子さんが描いた風船爆弾の製作場面=岡田さん提供
 岡田黎子さんが描いた風船爆弾の製作場面=岡田さん提供
 大久野島=6月、広島県竹原市
 戦時中の体験を語る岡田黎子さん=6月、広島県三原市
 現在も大久野島に残る毒ガス貯蔵庫跡=6月、広島県竹原市
 水質基準の450倍のヒ素が検出された井戸周辺の地中をレーダー探索する技師ら=2003年5月、茨城県神栖町(現神栖市)

 1944年11月、瀬戸内海に面した広島県の忠海高等女学校に通う約160人が、沖にある大久野島に集められた。周囲4キロほどの小さな島は、当時の地図には載っていない。島にある工場が、高度の軍事機密下に置かれていたからだ。工場の正式名称は「東京第2陸軍造兵廠忠海製作所」。

 160人のうちの1人で、15歳だった岡田黎子さん(96)は、入所式での所長の訓示を覚えている。

 「ここでの兵器生産は極秘である。家族といえども言ってはならない」

何をさせられるのかは見当もつかない。ただ、「正義の戦争に参加する名誉ある国民」として懸命に働かなければ、と思った。それが後に半世紀を超えて社会の脅威になるとは、思いも寄ら...

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