女性映画監督としても活躍した田中絹代(田中絹代メモリアル協会提供)
女性映画監督としても活躍した田中絹代(田中絹代メモリアル協会提供)
女性映画監督としても活躍した田中絹代(田中絹代メモリアル協会提供)
1950年1月19日、映画親善大使として渡米し3カ月の旅を終え、帰国した田中絹代。当時40歳。出発時の地味な和服姿が一変、毛皮のコートにサングラス姿で「ハロー」と第一声。
映画「サンダカン八番娼館」の製作を発表する田中絹代=1974年6月
田中絹代の監督作品を収録したDVDセットを披露するバンサン氏=2025年
「田中絹代ぶんか館」が開館し、展示品を見る俳優の松坂慶子さん(右)や奥田瑛二さん(左)ら=2010年2月、山口県下関市

 「日本の女性映画監督を知らないか」。2020年、フランス。1人の日本映画専門家が大手配給会社から、そんな問い合わせを受けた。専門家がふと思い出し、紹介したのが日本映画の黄金期を支えた大女優、田中絹代(1909~1977年)だった。実は田中は、1950年代の日本で女優業の傍ら6本の作品でメガホンをとった。フランスの映画関係者は女性監督の先駆けとして評価するが、その功績は母国の日本であまり知られていない。

 日本で忘れ去られていた田中絹代の作品はフランス全土で上映され、古典映画としては異例ともいえる高い支持を、若い観客から得た。14歳で松竹に入社し、看板女優となるまでの決して順風満帆とは言えない田...

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