沖縄県糸満市で開かれた慰霊祭に出席し、涙ぐむ玉木利枝子さん=2025年6月22日
沖縄県糸満市で開かれた慰霊祭に出席し、涙ぐむ玉木利枝子さん=2025年6月22日
沖縄県糸満市で開かれた慰霊祭で線香を手向ける玉木利枝子さん=2025年6月22日
沖縄県糸満市にある戦没した医療従事者の碑に手を合わせる玉木利枝子さん=2025年6月22日
亡くなった家族の名前が刻まれた「平和の礎」の前で手を合わせる玉木利枝子さん=2025年6月22日、沖縄県糸満市の平和祈念公園
10・10空襲時の那覇市の市街地(沖縄県公文書館所蔵)
壊滅状態の首里の町=1945年6月18日(沖縄県公文書館所蔵)

 そこかしこに折り重なる老若男女の亡きがらは、どれもむごたらしかった。真っ白になるほどウジだらけだったり、腐敗して真っ黒に変色し、膨れていたりした。太平洋戦争末期の沖縄戦で、玉木利枝子さん(91)は、激戦地となった本島南部を逃げ惑った。「今日が何月何日かも分からない」まま、戦場で隠れる場所と口に入れるものを探し続けているうちに、11歳の誕生日は過ぎた。

 「神様、一気に死なせて」。日本は必ず勝つと信じ込んでいた少女が、戦場をさまよう中で願うようになったのは、痛くもつらくもない死。「戦争は、一度始まったら終えられない」。数え切れない、五体をとどめぬ死体の腐臭は今も鼻の奥に残り、80年前の「地獄」を...

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