一緒に暮らした家の玄関前で並ぶテュイ(左)と花崎みさを=2024年9月、千葉県木更津市
 一緒に暮らした家の玄関前で並ぶテュイ(左)と花崎みさを=2024年9月、千葉県木更津市
 1975年4月30日、サイゴンが陥落し、大統領官邸の独立宮殿に解放旗をはためかせて無血入城した解放戦線軍戦車と兵士ら
 フランスのタンカー「バントーズ」から、出迎えの通船に乗り移るベトナム難民=1979年8月2日午前9時30分すぎ、茨城県・鹿島港で共同通信社ヘリから
 日本に到着、花崎みさを(左)が用意した赤いコートを着るテュイ=1981年3月、成田空港(テュイさん提供)
 花崎みさをと一緒に暮らした頃のテュイ=1982年ごろ、千葉県木更津市(花崎さん提供)
 一緒に暮らした頃の写真を見るテュイ(左)と花崎みさを=2024年9月、千葉県木更津市

 新居へ向かう車中、ベトナムから来た少女ファム・ティ・タン・テュイは窓に映る夜の闇をじっと見つめていた。1981年8月、神奈川県にある難民の定住促進センターでの日本語教育を終え、千葉県木更津市で花崎みさを(83)の里子として暮らし始める。

 「夜中に草むらを抜け港に行ったことや、暗い海を思い出しているのだろうか」。花崎は難民として祖国を逃れたテュイの気持ちに思いをはせ、胸が締め付けられた。

 テュイとの出会いをきっかけに、花崎はアジアと日本の子どもが共に生活する児童養護施設「野の花の家」を設立した。ぶつかり合いながら「親子」になる過程で「違いを認めなければ、差別になってしまう」ことに気付かされたと...

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