高木さんが著書の内容を口述したカセットテープ=2025年10月5日、千葉県鴨川市
 高木さんが著書の内容を口述したカセットテープ=2025年10月5日、千葉県鴨川市
 原稿を書く高木仁三郎さん=1999年9月、千葉県鴨川市(久仁子さん提供)
 高木仁三郎さんが生前に使っていたノート。「技術が人間を圧迫している」などと書かれている=2025年10月5日、千葉県鴨川市
 高木仁三郎さんが生前に使っていた机=2025年10月5日、千葉県鴨川市
 高木仁三郎さん=1996年10月(久仁子さん提供)
 高木仁三郎さんの歩みと主な原発事故
 高木仁三郎さんの写真と山口幸夫さん=2025年10月2日、東京都中野区
 原発関連の集会で話す高木仁三郎さん=1993年、福井県敦賀市(原子力資料情報室提供)
 取材に応じる原子力資料情報室の川崎彩子さん=2025年10月23日、東京都中野区
 自衛隊ヘリから撮影した東京電力福島第1原発。手前から1、2、3、4号機=2011年4月(防衛省提供)

 2000年に亡くなった市民科学者の高木仁三郎さんは、放射性元素を研究する核化学者でありながら原発に反対した。「科学が市民ではなく、国家のために利用されている」。こうした危機感から、原発のような国策と戦争に共通する思想を批判した。東京電力福島第1原発事故から間もなく15年。政府は世界最悪レベルの原発事故を経験したものの、原発の最大限活用を掲げている。高木さんの遺志を受け継ぐ新しい世代は、原発を批判的に見るための情報不足を危ぶむ。志半ばで亡くなった高木さん。もしこの状況を見たら何を思うだろうか。(共同通信=原子力取材班)

 ▽卑屈な教師

 高木さんは1938年、前橋市に生まれた。まもなく日本は太平洋...

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