県勢をはじめ日本の選手たちが大いに躍動した。日本中に感動と元気を与えた大会だった。
惜しくもメダルに届かなかった選手を含め、全ての選手の健闘をたたえ、拍手を送りたい。
イタリアで開催されたミラノ・コルティナ冬季五輪は、17日間にわたる日程を終えた。92カ国・地域から参加した選手約2900人が熱戦を繰り広げた。
日本選手団の活躍が目立った大会だった。
金5、銀7、銅12の計24個のメダルを獲得し、北京五輪の18個を大きく上回る冬季最多となった。金5個は、長野五輪と並ぶ。
厳しい練習を積み、切磋琢磨(せっさたくま)してレベルを上げてきた選手はもちろん、強化を図った競技団体、企業のサポートなどが見事に結実したたまものといえよう。
金4個を含め9個のメダルを量産したスノーボードは、新たなお家芸として注目度を上げた。
男子ハーフパイプで、銅を取った妙高市の専門学校に通う山田琉聖選手をはじめ、各選手が繰り出した技の進化に目を見張った。
スノボ界を引っ張り、4大会連続で五輪出場を果たした村上市出身の平野歩夢選手の功績は大きいだろう。
スノボ女子など日本が初めて金を取った種目もあった。
女子スロープスタイルで19歳の深田茉莉選手は、冬季の日本女子では史上最年少の王者になった。
他にもフィギュアスケート・ペアで、三浦璃来選手、木原龍一選手組が、五輪史上最大の逆転劇で優勝したことは、最後まであきらめない大切さを教えてくれた。
フィギュアスケート女子で銅を獲得した新潟市出身の中井亜美選手は、初出場ながらも伸び伸びした演技が印象に残った。まだ17歳、さらなる成長が楽しみだ。
フィギュアでのメダル6個は過去最高の成績となった。
スピードスケート女子の高木美帆選手が、500メートルなどでメダル3個を取り、夏季を含めた日本女子最多の通算メダル数を10に伸ばした。ストイックに自己管理に努めてきたことが実を結んだ。
男子スキークロスの長岡市出身、古野慧(さとし)選手はメダルにあと一歩の4位だった。
大舞台で思い通りに力を発揮できず悔し涙を流した選手もいた。それでも、勝敗にかかわらず競技を終えた後に選手たちが抱き合い、たたえ合う姿は、スポーツの素晴らしさを見せてくれた。
残念だったのは、「平和の祭典」である大会に国際紛争の影響が及んだことだ。
スケルトン男子のウクライナ代表が、ロシアの攻撃による戦死者の顔画像を張ったヘルメットを着用しようとしたために、国際オリンピック委員会(IOC)は失格とし、出場を認めなかった。
ウクライナ側は、ロシアの侵攻で「犠牲となった素晴らしい人々の記憶」をとどめてもらう追悼行為としたが、IOCは五輪憲章が政治的な宣伝活動を禁じており、選手の表現に関するガイドラインに抵触するとした。
戦火のない平和な環境下で開催できるように、国際社会は力を尽くさねばならない。
