捕手での大洋入団から間もない頃の松原誠さん。プロ5年目の1966年は主に一塁手で出場し、初めて規定打席に到達した。
捕手での大洋入団から間もない頃の松原誠さん。プロ5年目の1966年は主に一塁手で出場し、初めて規定打席に到達した。
1969年9月の巨人戦で2塁打を放つ松原誠さん=後楽園
1980年4月の阪神戦で3ランを放ち、通算2千安打を達成して観衆に応える松原誠さん=横浜
1987年10月、日本シリーズを前にネット裏で西武の戦力を偵察する巨人打撃コーチ時代の松原誠さん(右)と、投手コーチの皆川睦雄さん=西武
2000年10月、広島のチーフ兼打撃コーチに就任した松原誠さん(左)は投手コーチに就いた北別府学さん握手を交わす=広島市民球場
松原誠さんは2003年までの3シーズンで広島コーチを務め、新井貴浩さんらを育てた=03年2月撮影

 プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらった連続インタビューの蔵出し企画「名球会よもやま話」。第56回は松原誠さんが2度目のご登場です。本塁打と打点でDeNA球団記録を持つ強打者は、日本プロ野球選手会の会長として地位向上や待遇改善に尽力しました。その思いやりの姿勢はコーチ時代の思い出話にも垣間見えました。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽縁起の悪い背番号をあえて選んだ

 【DeNAの背番号25といえば村田修一、筒香嘉智と長距離砲の系譜。その始まりは松原さんだろう】

 僕はね、昭和37年(1962年)に捕手でプロ野球に入った時は背番号が38番だった。大洋(現DeNA)は結構いいキャッチ...

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