1970年8月、大分商と対戦した全国高校選手権の準々決勝で、捕手のタッチをかわして生還するPL学園時代の新井宏昌さん=甲子園
1970年8月、大分商と対戦した全国高校選手権の準々決勝で、捕手のタッチをかわして生還するPL学園時代の新井宏昌さん=甲子園
1987年10月の西武戦で二塁打を放つ新井宏昌さん。当時の130試合制の最多安打記録となる184安打を積み重ね、首位打者に花を添えた=西武
1989年10月の日本シリーズ第1戦で新井宏昌さんは斎藤雅樹投手(右)から適時打を放つ=藤井寺
1992年7月のオリックス戦で通算2千安打を達成した新井宏昌さんは「名球会」のブレザーを着せてもらう=藤井寺
新井宏昌さんは2003、04年にダイエー(現ソフトバンク)の打撃コーチを務めた。当時の教え子には村松有人さん、川崎宗則さん、井口資仁さんらがいる。
インタビューに答える新井宏昌さん=2024年9月、東京都内
1991年8月のダイエー(現ソフトバンク)戦で二塁打を放つ新井宏昌さん=平和台

 プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらった連続インタビューの蔵出し企画「名球会よもやま話」。第57回は2度目のご登場となる新井宏昌さんです。大阪・PL学園高―法政大と強豪チームで活躍した学生時代から巧みな打撃が光っていましたが、実は自他共に認める「練習嫌い」だったそうです。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽憧れていた寮生活の実態は…

 小学校にソフトボールのチームがあり、そこでやったのが野球のきっかけ。中学は軟式の野球部に入りました。ポジションは内野手。ショートもやりましたけど、最終学年はファーストで4番っていう記憶があります。2年の新チームから強くて、3年夏に大阪で優勝して近畿...

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