過信や慢心はないか。浮ついていないか。ハンドルを握る自分に問いかけるようになった。北越高の生徒が死亡した磐越道のバス事故から2週間がたつ。「車を運転する責任」を心に掲げ直す

▼部活動の遠征時に起きた今回のバス事故は、運行の手配を巡り、担当した会社側と依頼した高校側で言い分が食い違っている。実態解明が待たれるが、核心は運転手が人の紹介で運転するに至った経緯だろう

▼68歳の運転手は事故後「体調に不安はなかった」と供述した一方、数カ月前から事故を繰り返し、県警に免許返納を促されていた。自治体職員としてバスを運転してきた経歴からしても、尋常ならざる状態だったといえる

▼加齢や病気で運転技能も認知能力も低下することはあり得る。本人に十分な自覚がない場合も考えられる。高齢社会にあって人ごとではない。バスの運転とは言わずとも、当事者になることを想像すれば寒気がする

▼今回の事故で何の責任もない生徒が将来を絶たれた。忌まわしい記憶を残す負傷者が心配でならない。運転手も重い十字架を背負う。取り返しのつかない惨禍を引き起こさぬために、欠かせなかったことを探りたい

▼事故を受けて国は、部活の遠征に関する安全対策を6月中に取りまとめる方針だ。学校現場では今後も、遠征の必要性と経費などを勘案し現実的なやりくりをすることになろうが、最大限心を砕くべきは何なのか、もはやみじんも揺らぎはないはず。安全を追い求めることに終わりはない。