
高峰武・熊本学園大学招聘教授
水俣病の公式確認から70年となった。熊本県水俣保健所から県衛生部長に宛てた1956年5月4日付の第1報の表題は「水俣市字月浦附近に発生せる小児奇病について」。胎児性水俣病の患者たちは今、70歳前後で懸命に生きている。しかし胎児性世代に関する体系的、継続的な研究はない。解明を急ぐべきだ。
事件の核心がまだ水面下にあることを、2人の医師を通じて考えたい。
細川一(1901~70年)は東京帝国大医学部を出て47年に原因企業である日本窒素肥料(後のチッソ)の水俣工場附属病院長になった。56年5月1日、細川は幼い2人の姉妹の受診を機に「原因不明の中枢神経疾患が多発」と水俣保健所に届けた。これが水俣病の公式...
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