「居住ゼロ」の市町村が11年5カ月ぶりになくなった。東京電力福島第1原発事故で全町避難が唯一続いていた福島県双葉町で、一部が8月末に帰還可能になった
▼「大きな一歩だとは思います」。原発事故後に見附市から福島県に移住し、復興支援を続ける北村育美さんはこう語り、続けた。「まだまだこれから。課題が多すぎて」。居住可能地域は町面積の15%だけ。準備宿泊の参加者は約80人で住民登録者の40人に1人以下だ。病院やコンビニ、スーパーもない
▼望郷の念を抱きながら避難先に定住する人も少なくない。「マイナスからの復興」と言われる。双葉町に限らず近隣の市町村は同様の課題に苦しむ。人が住めない土地をつくり出す原発事故の罪深さを、年月を経るほど痛感する
▼この人は避難者の思いにどう向き合っているのだろう。東電柏崎刈羽原発6、7号機など7基の再稼働方針を打ち出した岸田文雄首相だ。原発の新増設や運転期間延長の検討も指示した
▼かつて双葉町にあった看板のように「明るい未来のエネルギー」と思っているのか。北村さんによると福島では再稼働に否定的な人が多い。にもかかわらず、福島事故の反省を忘れたかのような首相の姿勢にあぜんとする
▼首相は安倍晋三元首相の国葬を巡っても異論を置き去りにする格好で手続きを進める。国葬とする理由に安倍氏の功績を挙げたが、政治手法も見習っているようだ。「岸田ノート」を掲げて聞く力をアピールした1年前が随分昔に感じる。