高校時代は野球部のエースで四番で全国制覇の立役者となったが、よく練習をサボっては映画を見に行っていたという。鳴り物入りでプロ野球に入るが、3年で引退。本人いわく「中途半端で努力しなかった」。類いまれなる才能を持て余していた

▼ところがプロゴルファーに転身するや、圧倒的な飛距離を武器に翌年にはプロ選手権を制し、55歳までにツアー勝利数を日本最多の94に積み上げた。2位が51勝だから、不滅の大記録である。78歳で亡くなった尾崎将司さんは、紛れもなくゴルフ界のスーパースターだった

▼傑出していたのは勝利数だけではない。ツアー前半にスコアを崩すと消化試合にしてしまう選手もいるが、尾崎さんは貪欲な追い上げで大逆転も起こした。ファンへの訴求力は高く、ライバルの青木功さんらとゴルフ人気の礎を築いた

▼勝ち気な親分肌で、建前なく本音を口にし、時にはわがままにも見られた。アンチも多く、パットを外すと観衆から拍手が湧いたこともある。ただ、情に厚く面倒見がよく、多くの後輩に慕われた

▼ジャンボ軍団と呼ばれた仲間と合同自主トレを続け、何人も名選手を輩出した。晩年は若手女子選手の育成に力を注ぎ、今を時めくトッププロが次々生まれた

▼戦前に東京市長を務めた後藤新平の言葉を借りる。〈金を残して死ぬやつは下、仕事を残して死ぬやつは中、人を残して死ぬやつは上だ〉。ニックネームのジャンボは、人としての器の大きさも感じさせるぴったりの愛称だった。